持論を表明しないとデマゴギーを批判できないのか?

6月27日改題、深夜再改題
野良猫氏の全面的敗北宣言がエスカレートしている。

 一応は今月いっぱい、ギリギリで今週いっばいくらいまで「青狐グループ」の方々からの回答を待つことにします。
 そして、期間内にここのコメント欄で誰も説明しなかった場合は「全面敗北宣言」と解釈させていただきます。

 別に語りたくないのであればいっこうに構いませんが、これ以降に他ブログで「南京」の論争をふっかけるのはやめていただきたい。
 単なるパロディにまで反応されていては興ざめですからね。

Posted by 野良猫 at 2006年06月26日 19:52


しかし、

「○万人説」を支持しているか持説を表明できない人間は「全面的敗北宣言」と解釈する

apemanさんが既に指摘しているように、この論理では「中虐殺派」「小虐殺派」「まぼろし派」のいずれかを表明せずに「中国の30万説」に疑義を述べた人間も同様に「全面的敗北宣言」と解釈されることになるわけで、要は「青狐グループ」を屈服させたいという気持ちが空回りして、トンデモの次元に踏み込んでしまっている。

実際はもちろん、中国の30万人説に疑義を述べるのに、「中虐殺派」「小虐殺派」「まぼろし派」のいずれかの立場にたつ必要はない。




十条氏が噛んで含めるように説明しているが、たぶん通じないだろう。

「野良猫さん、言っていることがトンデモの域になっていますよ。

>議論の入り口はここにあり、門をくぐろうとしない人間に付き合うほど他人は暇でもない

野良猫さんの観念では議論の入り口は一つしかないみたいですが、それを他人に押しつけるのはやめたほうがいいですね。

ここでの「門」は「捏造説」に同意できるか否かという次元の論点でした。捏造説に同意できない人間が捏造説の根拠を崩した。いま、捏造説を述べた人は「捏造」と断定する根拠を失った。
ちゃんとした「分析的」議論ではないですか。

「捏造説」に同意できない人間が「何人説」を支持するか表明する必要はないです。「捏造説」の替わりに「30万人説」でも「東中野説」でも同じことです。
「30万人説」に同意できるか否か、という議論において、同意できない人間が「何人説」を支持するか表明する必要はありません。「東中野説」の場合でも同様です。」

「野良猫さんの論理を30万人説の議論に当てはめると、こうなります。

中国の30万人説に同意できない人間が、30万人説の論拠を崩した。そこに横やりが入る。「あなたはどの知識人の説を持論のベースとするのか。もし何らかの理由で答えない場合は、全面敗北宣言をしたものと解釈する」
こうして中国の30万人説の論拠を崩した人間が、野良猫メソッドでは「何万人説」かを表明しない場合は「全面的敗北宣言をした」ものと解釈される‥そんなバカな。

中国の30万人説に同意しない人間の大多数は、野良猫メソッドによって「全面敗北宣言をした」ものと解釈されてしまいそうですね。

このように、野良猫さんの「全面的敗北宣言」発言は、もはやトンデモの域です。
30万説を完全否定できない人間も、30万人説の論拠を批判して同説を「相対化」することはできるし、それは捏造説においても、インテリジェンスデザイン理論でも「水からの伝言」でも同じことなんですけどね。」

私は前投稿で「青狐メソッド」という言葉を使ったが、これは別に青狐氏独自のメソッドというほどのものではなく、その他の歴史修正主義や反ジェンフリ言説などに対する、「こじつけ」「飛躍」「短絡」「決めつけ」といったインチキ論理を指摘・批判するときに採用される論法としては一般的なものだろう。つまりプロパガンダ批判や、洗脳を解くための説得などに通じる方法論である。

ジェンフリを批判するのに、ジェンフリの立場にたつ必要はない。
ジェンフリの立場に立たなくとも反ジェンフリの「こじつけ」「飛躍」「短絡」「決めつけ」といったインチキ論理を指摘・批判することはできる。「反デマゴギー」という一点で十分である。
南京事件否定派というのも、田中正明から東中野修道まで確信犯的デマゴギーの歴史なのだから、これを批判するのに積極的肯定派である必要はない。「反デマゴギー」という一点で十分である。

野良猫氏の「全面的敗北宣言」という荒唐無稽な発言は「反デマゴギー」に対する焦燥を表現しているとも読めるだろう。しかし、南京事件否定派が「デマゴギー」であるという認識が共有されていない人間には、この構図はわかりにくいかもしれず、「青狐メソッド」にも再考の余地があるようにも思える。

「完全な敗北宣言をしたものと解釈する」のだそうな

もうひとつはまじめに扱う意味もなさそうな妄言だが、

「肯定派」の人は議論の目的を明らかにするべきだ。異論を持つ人間に持論を理解して欲しいのか。あるいは、政治ネタのからんだユーモアを語るべきではないと言いたいのか。

議論は結論へと進まなくてはならないのだから、そろそろ基本的なポジションについて語ってもらいたい。


ここの議論、実はネタに絡めつつもADON-K氏自身が「捏造説」だった、しかし青狐氏にその論拠は崩されたという流れだった。つまり議論の焦点は南京事件捏造説であり、その間違いが指摘された。
議論の目的は明確だしは結論へと進んだと見るのが自然だ。


要は、人口20万説のような安物トリックを真に受けるな、騙されるな、安易な、軽率な判断は慎むべきというのが青狐氏の持論だろうし、それは私の持論でもある。

まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ。それだけ語れるなら「大虐殺派」か「中間派」くらいの区別はつくはず。ちゃんと「議論」をしたいのなら、むしろ進んで説明するべきことなのだ。

……もし何らかの理由で答えない場合は、全面敗北宣言をしたものと解釈する。


自分は日本政府の見解とほぼ同意見(不法殺害があったことは否定できない。人数の特定は困難)だが、そういう人間でも「捏造説」の誤謬を指摘することはできるし、「ちゃんと」議論することができるはずだ。


したがって「まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ」という意見には同意できない。



この問題には背景がある。
自分が見聞した範囲では、歴史修正主義の人間は、必ず「突っ込む」側・「質問攻め」する側・「あら探しをする」側に立とうとする。(南京事件の場合は、「○万人説」に突っ込みを入れて「証明せよ」と迫り、「証明できないものはない」という結論に持って行こうとする)
つまり「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図に持ち込もうとする。


青狐氏が多用する論法(以下青狐メソッド)は、この歴史修正主義者の論法のパロディみたいなもので、つまり
「捏造説」を議論のたたき台にし、青狐氏は突っ込みを入れる側にまわる。歴史修正主義のフォロワーは持論の脆弱さを指摘される側になる。
つまり青狐氏は「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図を、歴史修正主義者の論法を反転させておこなっていると思われる。ここでは歴史修正主義者が「安易」「安直」「軽卒」「ビリーバー」の側に立たされることになる。


こういう構図は、野良猫氏のような人間にとっては堪え難いものなのであろう。だから彼は頻繁に「南京事件捏造説」をめぐる議論に介入し、「南京事件○万人説」をたたき台にするように画策する。つまり相手を「ビリーバー」の側にまわしたいわけだが、意図がみえみえなので無視されてしまう。

彼にとってはサヨクこそが「イデオロギー」「情動」「ビリーバー」であり、自らが「理知的」という構図でなくてはならない。自らがビリーバーであるという構図は堪え難い。だから彼は「青狐メソッド」に苛立ち、ついにマジ切れしてしまったのではいないかと推察する。

「ユダヤ人が好きな人」とか「中国が好きな人」といったラベリングの怖さ

同じくhttp://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html?reload=2006-05-28T05:00:32だが、おかしな発言が闖入してきた。発言主はhttp://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060603で「あべこべに引用」という迷言をおこなった野良猫氏。

>青狐グループの方々

南京事件」と「東京大空襲・広島原爆」の最大の違いは、政治性の有無でしょう。日本側がこれらを題材に「共通する歴史認識」を他国に求めた事はないし、水増しなどをする理由もない。なぜなら、日本側には抗日記念館のように他国への憎しみを煽る必要なども無いからだ。ここが最大の違いでもある。
 中国が日本軍による犠牲者の数を年々増やしていったのと異なり、日本側の数値は訂正される事はあってもごく僅かなものです。

 だから「中国側のカウントがいい加減でも日本側だって不自然だ」と暗に語る形での中国擁護論にあまり意味はない。……というより、あなた方の好きな国の基準でものを語らないでほしい。

>南京の話題について

「肯定派」の人は議論の目的を明らかにするべきだ。異論を持つ人間に持論を理解して欲しいのか。あるいは、政治ネタのからんだユーモアを語るべきではないと言いたいのか。
 それとも、異論を持つ人間達と延々と一方的フリートークを続けたいのか。これの場合は、頼まれてもいないのにサークルスペース前で何時間も語るマニアさんと変わらない(即売会には結構居る)。

 議論は結論へと進まなくてはならないのだから、そろそろ基本的なポジションについて語ってもらいたい。
 まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ。それだけ語れるなら「大虐殺派」か「中間派」くらいの区別はつくはず。ちゃんと「議論」をしたいのなら、むしろ進んで説明するべきことなのだ。

 ……もし何らかの理由で答えない場合は、全面敗北宣言をしたものと解釈する。議論の入り口はここにあり、門をくぐろうとしない人間に付き合うほど他人は暇でもない(いや、そういうのが大好きという人も居そうですが)。

Posted by 野良猫 at 2006年06月23日 20:30

突っ込みどころ満載だが、とりあえず「あなた方の好きな国」という発言について。
そもそも私は「証拠」や「証明」をめぐる南京事件否定派のダブスタを指摘したのであり、これのどこが中国擁護論なのかという点はさておき、青狐グループというのは十条氏と私のことだと思うが、「あなた方の好きな国」とはどこの国だと言いたいのか。何を根拠に。


ヨーロッパには「アウシュビッツ否定論」をめぐる議論がある。では、アウシュビッツ否定論に異論を唱える人は「ユダヤ人を好きな人間」と扱われるのですかね。
中にはそういう人もいるだろうが、「反・アウシュビッツ否定論者」=「ユダヤ人が好きな人」などと単純化して語ることができるのですかね。


あのコメント欄の議論は「南京事件」そのものというより「南京事件=捏造説」、俗に言う「歴史修正主義」言説をめぐるだったはず。じゃあ「南京事件捏造説に反対する立場」は「中国が好きな人」だと言いたいのかな。


こういう「日本の味方か、中国の味方か」という単純な観念がいちばん危険だろう。ユダヤ対反ユダヤとか、反中対中国の味方とか、そういう二分論で人を語ることは愚かしいと思う。

(続編)だから、これで「証拠」を提示したつもりなの?

これで「証拠」を提示したつもりなんですかねの続き。
http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html?reload=2006-06-23T13:44:47コメント欄。

前回の私の投稿(再掲)



>出来ますよ。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/learning/editorial/20050318/02.htm

それ、新聞の社説ですね。

そのページのどこにも「10万」という数字の根拠は示されていませんね。

http://www.ihope.jp/tokyo-bomb.htm

写真集の紹介サイトですね。

そのページのどこにも「10万」という数字の根拠は示されていませんね。

「出来ます」と言いながら、実際は10万という数字の根拠を出せていないですね。

「10万人」という証拠を提示できない以上、ADON-Kさんの論理では「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」となるはずですが?

あと、広島原爆の10万という証拠は?


これに対する返答がきたので読んでみると…

ADON-K

>「出来ます」と言いながら、実際は10万という数字の根拠を出せていないですね。


だから、死体処理の記録や証言ですよ
当時の日本には戸籍もありましたから逆算で算出可能ですよね?
その当時に調査された報告書なんかも残ってます。
そうやって犠牲者数を出したソースはたくさんありますよ
http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/index.html
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4902622041/249-4593348-8111556?v=contents&n=465392

Posted by ADON-K at 2006年06月22日 22:06


さて今度のリンクを開いてみると…一つは「東京大空襲・戦災資料センター」のサイトで、具体的な資料は一切掲載されていないし、もうひとつはアマゾンのページをリンクしただけ、ときた(失笑)。

前回が社説と写真集の紹介ページ、今度は施設のサイトとアマゾン、同じゴマカシを繰り返すとは懲りないヒトだ。



>>「出来ます」と言いながら、実際は10万という数字の証拠を出せていないですね。
>だから、死体処理の記録や証言ですよ


「出来ます」と言いながら、ADON-Kさんはその「死体処理の記録や証言」を提示していませんね。
「10万」という「死体処理の記録や証言」を提示してくださいな。


>当時の日本には戸籍もありましたから逆算で算出可能ですよね?


可能ですが、問題は「逆算で10万と算出した」データが存在するかどうかです。
「逆算で10万と算出した」データを提示してください。


>その当時に調査された報告書なんかも残ってます。
>そうやって犠牲者数を出したソースはたくさんありますよ


では、そうやって「10万」と算出したソース、つまり10万という数字の証拠を提示してください。
「たくさんある」のなら、どうしてそのソースを提示されないのですか?
「出来ます」と仰ったのはADON-Kさんですから、「10万」という数字の証拠を提示してください。


http://www9.ocn.ne.jp/~sensai/index.html


東京大空襲・戦災資料センターのサイトですね。このサイトのどこに「10万」という数字の証拠があるのですか?


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4902622041/249-4593348-8111556?v=contents&n=465392


「東京都戦災誌」を紹介したアマゾンのサイトですね。この本のどこに「10万」という数字の証拠があるのですか?


前の投稿は読売の社説や写真集の紹介サイトだし、今度はセンターのサイトやアマゾン。
「出来ます」といいつつ、小手先のごまかしを2回も続けるのは理解に苦しみますね。
「出来ます」と仰ったのはADON-Kさんですから、「10万」という数字の証拠を提示してくださいな。


これで「証拠」を提示したつもりなのなら、南京事件の30万説の証拠の提示は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」のサイトとアマゾンの「南京事件資料集 第2巻 中国関係資料編」のページhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4250920232/qid=1151039010/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-1860272-8077024をリンクすればいい、ということになるのかな?

ところで、上の「逆算」というのは「戸籍上の数-生存確認者数=死者数」と言いたいのだろうが、実際はその逆算で算出されるのは「戸籍上の数-生存確認者数=死者数+行方不明者数」になるはずで、「死者数」の「証拠」はその逆算からは出てこないはずだが…

これで「証拠」を提示したつもりなんですかね

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html

南京事件に関して「証拠がなかったから無かった」などと主張する人間が、こと自分が証拠を提示する側にまわったら「読売の社説」をリンクに貼って「証拠を提示」したつもりらしい、というお話。


もともとは青狐氏とADON-K氏の議論。

ADON-K


青狐さん
あなたにはとりあえず
あったと証明できないことは無かったと言っていいということを理解して欲しいのですが?w

青狐


その論理では、「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」と言っていいことになってしまいますよ。「広島原爆における10万人虐殺はなかった」と言ってもいいということに。

ちなみにその論理を認める近現代の歴史学者は、おそらく皆無でしょう。すなわち「黒と証明できないものは白だ」みたいな論理は、歴史学ではまず通用しないということです。

ADON-K


>その論理では、「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」と言っていいことになってしまいますよ。「広島原爆における10万人虐殺はなかった」と言ってもいいということに。


 なりません。
東京大空襲も広島原爆も証拠があるからです。
どちらも、大勢の民間人の方が亡くなっていますしそれを裏付ける当時の記録も残っています。

「10万」という数字を「大勢」とすり替えている。
ここで私は横レスを入れた。


青狐氏の言っていることは、要は「東京大空襲で10万人」という証拠がないから、「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」と言っていいことになるのか、「広島原爆で10万人」という証拠がないから「広島原爆における10万人虐殺はなかった」と言ってもいいということになるのか、ということでしょう。
これに対し「大勢の民間人の方」と述べても、それは「10万人」という証拠にはなりませんね。「10万人」という証拠を提示できない以上、ADON-Kさんの論理では「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」広島原爆における10万人虐殺はなかった」となるはずですが?

それぞれ10万人死んだという証拠を提示できない限りは。

ADON-K

>それぞれ10万人死んだという証拠を提示できない限りは。
 出来ますよ。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/learning/editorial/20050318/02.htm
http://www.ihope.jp/tokyo-bomb.htm

当時の新聞記事、死体処理の記録、証言、複数ソースで確認できます。足りなければまだ出しますが・・・広島の方も必要ですか?

ところで中国側の主張の中で実際に虐殺の現場を見たと言える人は何人でしたっけ?

リンクを開いてみると…読売の社説じゃあないか(笑)


>出来ますよ。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/learning/editorial/20050318/02.htm

それ、新聞の社説ですね。
そのページのどこにも「10万」という数字の根拠は示されていませんね。

http://www.ihope.jp/tokyo-bomb.htm

写真集の紹介サイトですね。
そのページのどこにも「10万」という数字の根拠は示されていませんね。

「出来ます」と言いながら、実際は10万という数字の根拠を出せていないですね。

「10万人」という証拠を提示できない以上、ADON-Kさんの論理では「東京大空襲における10万人虐殺はなかった」となるはずですが?
あと、広島原爆の10万という証拠は?

この一件、南京大虐殺否定派の人間が「証拠」なるものに対し、いかにダブスタであるかという典型例だろう。

カルト並みのことを平気で言う岡崎久彦

岡崎久彦ってすごいなあ。生物学についてまるで理解がいい加減というのがまたすごい。
これじゃカルトの言説だ。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20060620#p1

国家的にものを考えるというのは、本来これは言う必要がないことなんですね。これは全部我々のDNAに入っているんです。『利己的な遺伝子』という本があるように、遺伝子というのは極めて利己的で、自分だけ生き残るために全部できている。ところが、自分の属するある団体を守ることが自分の生存に意味があるとなってくると、自己を犠牲にしてもその団体を守るという遺伝子が埋め込まれているらしい。それでは、その団体が何であるかという、その単位が問題なんですけれども、結局は人類数千年の歴史では国家しかないんです。それは一人一人に聞いて見れば分かることで、「おまえ、何のために死ねるか」と。「東京都のために死ねるか」と言っても、おそらく死ねる人はいないですよね。地球人類のために死ねるかというと、口先だけそういうことを言っている人はいるけれども、命を賭けてないですね。やっぱり単位は国であって、これは放っておけば自ずから出てくるものです。ただそれを今までの偏向教育で抑えこんでいた。ですから、教育基本法に「国家的にものを考えること」「国を愛すること」ということを書けば、日本人というのは遵法精神がありますから、自ずから解決するんじゃないかと思います。

どうやら、自分の思い込みがあって、あとから薄っぺらな生物学の知識をくっつけるとこのような珍妙な言説になるのだろう。

大学生ってこんなもの?

慶応の美術美学史専攻の学生のブログをたまたま見つけたのだが、
愛国心について

このブログに限らず、自分から大学名をわざわざ名乗るブログには違和感をもつのだが、それにしても上のエントリー、考えがチャイルディッシュすぎるような…