「完全な敗北宣言をしたものと解釈する」のだそうな

もうひとつはまじめに扱う意味もなさそうな妄言だが、

「肯定派」の人は議論の目的を明らかにするべきだ。異論を持つ人間に持論を理解して欲しいのか。あるいは、政治ネタのからんだユーモアを語るべきではないと言いたいのか。

議論は結論へと進まなくてはならないのだから、そろそろ基本的なポジションについて語ってもらいたい。


ここの議論、実はネタに絡めつつもADON-K氏自身が「捏造説」だった、しかし青狐氏にその論拠は崩されたという流れだった。つまり議論の焦点は南京事件捏造説であり、その間違いが指摘された。
議論の目的は明確だしは結論へと進んだと見るのが自然だ。


要は、人口20万説のような安物トリックを真に受けるな、騙されるな、安易な、軽率な判断は慎むべきというのが青狐氏の持論だろうし、それは私の持論でもある。

まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ。それだけ語れるなら「大虐殺派」か「中間派」くらいの区別はつくはず。ちゃんと「議論」をしたいのなら、むしろ進んで説明するべきことなのだ。

……もし何らかの理由で答えない場合は、全面敗北宣言をしたものと解釈する。


自分は日本政府の見解とほぼ同意見(不法殺害があったことは否定できない。人数の特定は困難)だが、そういう人間でも「捏造説」の誤謬を指摘することはできるし、「ちゃんと」議論することができるはずだ。


したがって「まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ」という意見には同意できない。



この問題には背景がある。
自分が見聞した範囲では、歴史修正主義の人間は、必ず「突っ込む」側・「質問攻め」する側・「あら探しをする」側に立とうとする。(南京事件の場合は、「○万人説」に突っ込みを入れて「証明せよ」と迫り、「証明できないものはない」という結論に持って行こうとする)
つまり「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図に持ち込もうとする。


青狐氏が多用する論法(以下青狐メソッド)は、この歴史修正主義者の論法のパロディみたいなもので、つまり
「捏造説」を議論のたたき台にし、青狐氏は突っ込みを入れる側にまわる。歴史修正主義のフォロワーは持論の脆弱さを指摘される側になる。
つまり青狐氏は「証明できないものを信じるビリーバー」対「実証的な人間」という構図を、歴史修正主義者の論法を反転させておこなっていると思われる。ここでは歴史修正主義者が「安易」「安直」「軽卒」「ビリーバー」の側に立たされることになる。


こういう構図は、野良猫氏のような人間にとっては堪え難いものなのであろう。だから彼は頻繁に「南京事件捏造説」をめぐる議論に介入し、「南京事件○万人説」をたたき台にするように画策する。つまり相手を「ビリーバー」の側にまわしたいわけだが、意図がみえみえなので無視されてしまう。

彼にとってはサヨクこそが「イデオロギー」「情動」「ビリーバー」であり、自らが「理知的」という構図でなくてはならない。自らがビリーバーであるという構図は堪え難い。だから彼は「青狐メソッド」に苛立ち、ついにマジ切れしてしまったのではいないかと推察する。