「あなたがた」って誰?

拙エントリ「finalvent氏の一連の主張について(箇条書きバージョン1)」に対する、ブクマでのBigBang氏のコメントについて。

finalvent氏は町山氏に語りかけているのではない。歴史への佇立についてあなたがたに語りかけている。氏のイザヤベンダソン論(http: //finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/03/part_2.htm)くらいは目を通してから論評すべきだと思』
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060308/1141711669

よくわからないコメントだ。
*1

仮に「finalvent氏は町山氏に語りかけているのではない」としよう。では誰に語りかけているのか。finalvent氏自身が「あなたがたに」というならわかる。しかしBigBang氏が「あなたがたに」というのはよくわからない。
どうやら、「fあなたがた」と「あなたがた以外」がいて、「あなたがた」には「BigBang氏」は含まれていない、ということなのだろう。つまり、finalvent氏が語りかけた対象は「BigBang氏以外」の誰かさんたち、と言いたいらしい。

では、「BigBang氏以外」の「誰か」とか「あなたがた」って誰なのか?
「あなたがた」と「あなたがた以外」は何を基準に分かれるのか?

「お菓子の国に行って死んでください」発言もそうだったが、なんか「党派的ふるまい」に傾きすぎてはいないかと気になる。

*1:
ついでに、以下の部分にも強い違和感を感じた。
>氏のイザヤベンダソン論(http: //finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/03/part_2.htm)くらいは目を通してから論評すべきだと思

そのココログのエントリに「目を通してから論評すべき」?
finalvent氏が(はてな外で)そんなエントリーをしていることを、finalvent氏は述べていない。私も知らなかった。おそらくその他の多くの人もしらない。
なんで、はてな外のそのエントリーを読んでから論評「すべき」なのか、その理由がよくわからない。
それに、なぜ第三者のBigBang氏が「はてな」にないエントリーについて目を通してから論評「すべき」と言い出すのか、よくわからない。