「我が子をアウシュビッツに…誰が?」という問題について(論点整理以前)


gachapinfan氏による整理をそのまま借りつつ、「我が子をアウシュビッツに…誰が?」という問題について考える。

まず、gachapinfanさんによる整理

http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20060322#p1

finalventさんの主張
1. 関東大震災において「われわれ」が「朝鮮民族」に対するジェノサイドを行なった、という誤解が流布している。あるいは、流布する可能性がある。
2. そのような誤解が流布すれば、民族間の軋轢を高めることになる。
2.1. わが子がアウシュビッツ送りになるかもしれない。

3. 「われわれ」は集団ヒステリーで「異者」を殺しただけで、特定民族に対するエスニック・クレンジングをおこなったわけではない。
3.1. 民族の血を根絶やしにするという考えによるものではない。
3.2. 計画的におこなったわけではない。
3.3. 虐殺された者の人数も少ない。
3.4. 「われわれ」は朝鮮人だけを殺したわけではない。
 

2と2.1の間の溝…誰が?
・この2と2.1の間には溝がある。つまり、「誰」によって我が子がアウシュビッツ送りになるかもしれないとf氏は考えているのか?
・普通に考えたら、ジェノサイドされた側の民族が「我が子をアウシュビッツに送るかもしれない」と読解するのが自然だ。

・つまり2.1は「朝鮮人によってわが子がアウシュビッツ送りになるかもしれない」という意味にしか読み取れず、当然以下のような反応を招く。

http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20060312/1142115440

NakanishiB
これってまさに大震災の虐殺における流言蜚語そのままじゃないですか。


・これに対しfinalvent氏は、一旦はこの問題をスルーした。
・しかしその後私のブクマコメントに反応してきた。

finalvent氏は(明言していないが)以下のように考えているようだ。
・現時点で「誰」かが存在することを前提に述べたわけではない、
・しかし現在「我が子をアウシュビッツ」に送る主体がいなくとも、2.1の可能性に備えるべきだ

不毛なレスポンス

しかし、私のコメントへのレスは説得力に乏しい。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060318/1142654353

アウシュビッツユダヤ人にいわれなき偏見の歴史的蓄積から生まれた側面が大きい。あのころ彼らは国家を持たず、そうした偏見に十分に対応できなかった。対応できたら……いや現在の某団体活動を見ればわかるだろう。

読めばわかるとおり、これは偏見を持っていた主体に対する言及がない。
これでは2.1において「主体」の問題は不問である、という根拠にはならない。

私にこの点で誤りがあるとすれば、関東大震災における朝鮮人虐殺が genecide であると史的に妥当に解明された時だ。その時を待たずして、史実を見つめようとせず、関東大震災における朝鮮人虐殺が日本人による genecide なのだと言われれば、私は看過すべきではないし、看過すべきでない懸念の理由は、すでに述べたとおりだ。「誰が」を生まないための話だ。

これも2.1において「主体」の問題は不問である、という根拠にはならない。
ちなみにgachapinfan氏は、「ジェノサイドであっても単なる虐殺であってもいずれにせよ軋轢の原因にはなる」と述べている。

そういえば、この手の詰問は懐かしい。日本の防衛というとき、誰が攻めてくるというのかとマジで問われていた時代があった。今の人はあの時代の空気を知らないかもしれない。防衛というのは、誰がどの国がという問題ではない、というのは今では普通の常識になった。

これも2.1において「主体」の問題は不問である、という根拠にはならない。
その「時代」においても、以下のような条件が存在していたはずだ。
・冷戦状況
・日本以外の国が軍隊を持っている

つまりその「時代」には、軍事的に侵攻されるかもしれないという「緊張関係」が(強弱はともあれ)存在し、侵攻してくる力を持った主体をカウントすることができた。この両者の条件から、侵攻してくるかもしれない「候補」を数カ国(10か国以下だろう)カウントすることができた。
つまり侵攻の可能性がある主体が多少とも「実在」することを前提に「防衛」、つまり軍事侵攻への備えが議論されているわけだ。

それに倣えば、2.1においても「我が子をジェノサイドする」可能性のある主体が多少とも「実在」することを前提にしか、「ジェノサイドされないような備え」の議論は成り立たない。

どこに「関東大震災の虐殺」をネタにする国や民族がいるの?

・では、「ジェノサイド」されるかもしれないという「緊張関係」は存在するのか、「ジェノサイド」してくるかもしれない「候補」はカウントできるのか。
・さらに、仮に「候補」が存在するとして、その主体が「関東大震災」を「ネタ」にジェノサイドするか、と真面目に考えてみるといい。
・どう考えても、「大東亜戦争」の被害国/民族は大東亜戦争の加害行為をネタに、「植民地統治」の被害国/民族は植民地統治をネタにするだろう(単純に規模が違うからだ)

「ジェノサイドされない」ための措置としては、ほとんど意味がない

・こう考えると、「関東大震災虐殺事件について安易なことを言わないほうがいい」は、「ジェノサイドされないための備え」としてはほとんど効果をもたらない提言である。限りなく無駄な提言である。
・それ以前に、「finalventさんはこれまでの歴史研究の蓄積を知らずに「歴史検証を」と唱えているのではないか、というhokusyuさんほかの疑念」を私も抱く。
むしろ危険である

・むしろこの発言は、「わが子がアウシュビッツ送りになるかもしれない」という不安や恐怖を徒に煽るという意味で危険である。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060318#p1

hokusyu
「虐殺を引き起こさないために」「我々」は「彼ら」に心を許してはならないラインがあるのだという発想は、容易に「この世から一つの民族が一人残らずいなくなって欲しいという願い」とリンクしかねない。