「関東大震災」論争の論点整理(3月19日深夜)

(今後更新の可能性あり)

論点1:研究成果を参照したか

finalvent
現状私が知った範囲では偶発としてとらえて妥当ではないか。

hokusyu
歴史的事件を取り上げるときに、それまでの研究から上がっている成果を踏まえず、いちいち一から議論を組み立てないといけないわけでしょうか。そうでは無いでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060318

hokusyu
関東大震災時の朝鮮人虐殺については、ググるなりopacなりで検索すればいくらでも専門家の著書や論文が見つかるはずです。で、「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行わ」れ、その背景には朝鮮人への差別的な社会風潮があったということなんて、誰も問題にしていないぐらいほとんど自明のことがらだと思うのですが。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060318

hokusyu
はたしてこの程度の根拠と論理で、今までの一般的歴史常識を無視して、偉そうに歴史検証を要求できるその自信がどこから出てくるのか、僕には不明。


論点2:対象は抽象的な「異者」か、「朝鮮人」か

travieso
朝鮮人虐殺の「歴史背景」については先に引いたN・B氏のエントリが詳しいので、ここでは多くを述べないが、私の考えを言うと、確かに関東大震災のような未曾有の災害という「偶然」がなければ朝鮮人虐殺は起こらなかったかもしれない。しかし、未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行われた*3ことも、おそらく歴史に類を見ない*4。ここには「偶然性」・「偶発性」だけで片付けることのできない、歴史の「固有性」がある。
「歴史背景」としては、在日朝鮮人の急速な増加(1913年に1万人→1923年に13万人)とコミュニティの形成、それに伴う朝鮮人労働運動の活発化(朝鮮労働同盟会の結成など)、三一運動や義烈団事件などによる朝鮮人に対する潜在的恐怖が影響していよう。
http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060318/p1

finalvent
「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行われた」と、さらなるご冗談を。中国人も日本人も間違えられて殺害されているのを知らないのですか。

apeman
中国人や日本人も間違って殺されたから朝鮮人はターゲットではない、って理屈にはほんとびっくりしましたね。いったい「誰」と間違えられた、ってんでしょう。

jimusiosaka
う〜ん、「朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語が飛び交ったために、あちこちで「不逞鮮人」から自分たちを守るという名目で自警団が結成され、それらの自警団が中心となって朝鮮人に対する虐殺が行われたのであり、その中で「中国人も日本人も間違えられて殺害され」たわけですから、

finalvent
(追記:「15円50銭」が発音できなければ日本人も殺されたらしい。なら、狙われたのは朝鮮人に象徴される異者。朝鮮人コミュニティへの襲撃がない点も要考慮)。

jimusiosaka
朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語によって朝鮮人が狙われたのですから、「狙われたのは朝鮮人に象徴される異者」とするのはいくらなんでも無茶ではないでしょうか。

esper 『「中国人も日本人も間違えられて殺害されている」のであれば、やはりターゲットは特定の民族だったんじゃないでしょうか?いや、ブックマークから来たんで全然話の流れ分からないんですけどね。』

finalvent 『esperさん、ども。史実をご検討され、そのように結論されるのであれば、そうした考え方もあるかと思います。ただ、新聞を巻き込んだ流言飛語の対象がこのケースで朝鮮人であったということで、それをもって特定の民族の虐殺としますか?』

jimusiosaka
このような事例を「特定の民族の虐殺」と言わないことは、到底あり得ないだろうと思います。
http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060318

finalvent
補足。「新聞を巻き込んだ流言飛語の対象がこのケースで朝鮮人であった」という点に私はまったくの背景のないものではないにせよ、蓋然性は高いと考えています。つまり、他にも結びつく可能性があった、と。ただ、あの時代、あの状況で、異人化される他の対象は考えにくいようにも思います。フレームワークとしては、genocide としての朝鮮人虐殺ではなく、異常事態の異人への迫害という点で、異人があの状況で朝鮮人に結びついたのだろうと考えています。genocide 的な探し出してその血を絶やすという意図は私の知る限り認識されません(コミュニティ襲撃が無い)。また、あの時、日本国国家は朝鮮人の保護に向かったと思えます(この点、歴史学的に十分研究されてないように思えるので留保がつきますが)。

jimusiosaka
「異常事態の異人への迫害という点で、異人があの状況で朝鮮人に結びついたのだろう」とは、一体どういうことなのでしょうか?何故このように抽象的な物言いをされるのか、よくわかりません。「異常事態」に陥ったからといって、いつでも「異人への迫害」が起こるわけでないのですから、「異人化される対象」がたまたま朝鮮人であったというような表現をされることには、疑問を感じざるを得ません。何故あの時代に虐殺が起こり、何故その対象が朝鮮人であったのか、その固有の歴史的背景を考えないわけにはいかないと思うのですが。
http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060318

hokusyu
関東大震災朝鮮人虐殺について何冊か調べてみたところ、虐殺の動機として明確に「不逞鮮人」意識があり、それは3・1独立運動の記憶や日本人の職を奪う外国人労働者という意識を原因とする具体的な恐怖・憎悪の感情に起因していた、というのが一般的な理解のようです。
少なくとも流言飛語の対象が朝鮮人であったことは偶然であった、あるいは抽象的な「異物」として朝鮮人が選ばれたとする見解は存在しませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060319

論点3:ジェノサイド的性格の有無

hokusyu
虐殺の中には警察が保護した朝鮮人集団をわざわざ警察署まで押しかけていって殺した例もあり、これは明らかにジェノサイド的心性から発せられたものだと言えます。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060319

hokusyu
なお、軍隊・警察が直接的に虐殺に関与した事例もあり、また政府も事件の規模をなるべく小さく見積もろうとしたり、虐殺責任者の処罰を厳正に行わなかったなど、必ずしも虐殺に国家責任が無いとはいえません。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060319

hokusyu
自警団は十分に組織され、計画的に朝鮮人を殺害していったという例が本庄警察署襲撃事件です。この事例では、虐殺を行ったのは自警団です。警察は止めることはできませんでした。わざわざ警察署を襲撃してまで朝鮮人を殺さなければならなかった、ということは、まさに計画性・組織性の現われであり、ジェノサイドと言ってよい。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060319

fenestrae
『定義上、1000人殺して genocide になる場合もあるし(少少数民族の計画的せん滅)、10万人殺して genocide ではなく massacre の範疇にとどまるばあいもある。▼南京のばあい、genocideでないのは明か。関東大震災のばあい、当局も含めたレベルでの計画的意図はなかったと思いますが、ただある期間のパニック的状況で、「そのエスニックグループに属するものなら無差別に一人残らず」という意欲にとらわれて動いていた人たちもいた。その意味では心性においてかなり genocide に近いところまで近づいていなくもない。ただ、「そのグループを無条件にせん滅する」というより、その「グループに属するものはすべてわれわれの生命の危険を脅かす存在」だという「合理的」判断による殺戮行為だとするとこれはむしろ非正規の戦闘行為の論理に近くなってくる。ただしここに女も子供も含まれてくると、戦闘の論理は通用しない...いずれにせよ事実がもっと勇気を持って検討されるべきでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060318/p1

jimusiosaka
 それにしても、finalventさんはgenocideという言葉の意味を非常に厳密に用いておられるようなのに、その一方で3月19日の記事「genocideっていうのは鳥インフルエンザ対策みたいなもの(http: //d.hatena.ne.jp/finalvent/20060319/1142735496)」では、「genocideの原型」なるものについて恐ろしく大雑把な議論をしておられるのには、違和感を感じざるを得ません。』
http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060318

論点4:massacreとgenocideを区別したとして、それで?

Dryad
『横から失礼します。finalventさんは「massacreとgenocideの違い」に拘っているのではないか、という話が出ていますが、それを阻止するために取られるべき対策(システム的あるいは個人道徳的)にどのくらい違いがあるものなんでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060318/p1

gachapinfan 『横から失礼します。Dryadさん、僕も「massacreとgenocide」を区別することで何ができ、何ができないかを検討するのが(finalventさんに対する応答としては)一番近道ではないかと思います。
僕の考えでは、二つの事件については「共通点もあるし相違点もある」というまとめでよく、具体的な政策的議論をすればいいと思うのですが、どうもそうなっていないような気がします。これは、finalventさんの文章のなかに、倫理的な側面、文学的な側面、分析的な側面、そして自己(「日本民族」)弁護的側面が混在しているために、批判者たちが的を絞れていなかったからではないかという気がしています。』
http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060318/p1