理解に苦しむ

浮雲氏からのTBを読むと、以下のような発言があった。

知ったかぶりね(苦笑)。思い込みは煙氏の十八番であろうし、また心とはもっと恐ろしいものである。


しかし…
もう一つのTBを読むと、以下のような発言があった。

先日の一連の議論の中で、一貫して引っ掛かっていたのは、煙氏の「手続き」という言葉の使い方である。
氏は件の議論での、私の問題意識に影響を受けられたようだが、「手続き」というものについて、私の元々の問題意識を理解されておられない。そのため、はっきり言わせてもらうなら、「その言葉を使っていただきたくない」のだ。これは今更な話であるが、今後こういった形でこの言葉が使われていくならば、それは恣意的に用いられるだけであるし、けれどその論拠は結局私に求められてしまうからだ。


拙ブログの読者はご存知と思うが、「氏は件の議論での、私の問題意識に影響を受けられたようだが」という認識は勝手な思い込みにすぎない。
今年1月〜2月の、それなりに注目を集めた「男女混合名簿」問題で、私が事実確認という手順/手続きの欠如を主要な論点にしていたことは、「44」さんや「うちゃ」さんなど議論に参加した人をはじめ、議論を読んだ多くの人に知られているところだろう。今回「手続き」を論点にしたのはその延長上にある。
したがって、どうして

私の問題意識に影響を受けられたようだが


などという思い込みが出てくるのか、理解に苦しむ。さらにこの思い込みの延長で

そのため、はっきり言わせてもらうなら、「その言葉を使っていただきたくない」のだ

ここで言いたいのは、結局「その言葉の使い方は私の意図したものではない」ということだ。あなたはあなたの理路で意見を構築していくべきであり、安易に人の理路を援用すべきではない。

思い込みが暴走して「あなたはあなたの理路で意見を構築していくべきであり、安易に人の理路を援用すべきではない」と私に「意見」するに至っている。
そもそも、ご自分の発言を買いかぶりすぎではないだろうか。

浮雲さんの他人に対する「認識」や「意見」なるものは、結局この程度のものなのかも知れない。