メモ(慰安婦問題、強制連行の実例)


yahoo掲示板で従軍慰安婦の「強制連行」の実例を指摘する投稿←リンクあり

投稿者eichelberger_1999氏による「強制連行」の定義

「軍慰安所で性的労働に従事する女性を、その本人の意志に反して、就労詐欺や誘拐、脅迫、拉致・略取などの方法を用いて集めること、およびそのようにして集めた女性を、本人の意志に反して、軍慰安所で性的労働に従事させること」

その実例

秦郁彦慰安婦と戦場の性』(382〜383ページ)に次のような元兵士の証言が紹介されています。

例1:華南南寧憲兵隊の元憲兵曹長の証言
 
 この憲兵は、1940 年夏、中国華南の南寧を占領直後に、陸軍慰安所北江郷という名の軍慰安所を毎日巡察していた。その慰安所の経営者は、十数人の若い朝鮮人慰安婦を抱えていたが、地主の息子で小作人の娘達をつれてやって来たとのことであった。
 朝鮮を出るときは、契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、若い女の子に売春を強いることに経営者の朝鮮人も深く責任を感じているようだった。


 慰安所の経営者が女性を騙したのか、それとも経営者自身が誰かに騙されたのか、この証言だけでは曖昧ですが、明らかに騙されて連れてこられてきたことがわかっているにもかかわらず、慰安所の取締を担当していたこの憲兵曹長は、女性を帰国させずに、そのまま放置し、何らの救済措置もおこなっていません。また、騙した犯人の追及もおこなっていません。
 この憲兵慰安所の経営者および慰安婦に同情を寄せていたことから、自身もそこで行われていることがよいことではないのを承知していたことがわかります。しかし、軍慰安所は軍にとって必要なものであるので、犯罪を取り締まる立場にある憲兵であるにもかかわらず、そういったことは「見て見ぬふりをしていた」のだと思われます。


例2:山東の済南駐屯第59師団の元伍長の証言

 1941 年のある日国防婦人会の「大陸慰問団」という日本人女性200人がやってきた。彼女たちは部隊の炊事の手伝いなどをするつもりだったのが、皇軍相手の売春婦にさせられてしまった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。


 この伍長は憲兵ではないので、慰安所の取締係ではありません。しかし、軍が組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、200人もの騙されて連れてこられた(部隊の炊事の手伝いをするという話で連れてこられた)女性をそのまま慰安婦として働かせたりはできないでしょう。
 将校クラブは将校向けの慰安所なのでしょうが、その管理は当然軍が行っていました。利用する将校たちもこの女性のことを「見て見ぬふり」をしていたのだと、推測できます。


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例4:朝日新聞の記者で、ビルマ戦線に従軍した藤井重夫の『非風ビルマ戦線』

 ラモウの軍慰安所のマリ子という名の朝鮮人慰安婦は、朝鮮の師団司令部兵務部が募集する「特志看護婦」に応募し、軍歌と日の丸の送られて、釜山から輸送船でラングーンに上陸し、前線に送られたが、来てみると仕事は淫売婦と同じであった。
 なお、ラモウが連合軍に包囲された際、給与係の准尉が慰安所慰安婦に鉄かぶとと軍服を与えて、戦闘に協力するよう命じます。そしていちばん古手の慰安婦慰安所分隊の長に任命します。

師団司令部兵務部が「特志看護婦」募集したとあるので、これがほんとうなら朝鮮軍が就労詐欺に加担していたことになります。