木走さんは誰に向かって言っているのだろうか
●月刊WiLL8月号に掲載された野田元少尉の手記
を読んで。
「百人斬り競争」の当事者の一人である野田元少尉が戦後1948年1月28日に南京郊外の雨花台で銃殺処刑されるまでに獄中で綴った手記が月刊誌『月刊WiLL 8月号』に掲載されています。
手記の内容は木走氏ブログの引用文章を参照されたい。
納得がいかなかったのが以下の木走氏の主張。
メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。
そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。
(木走まさみず)
何だか二重三重にねじれた主張のような気がするのだが、とりあえず明確に指摘できる点だけコメントした。
kemu-ri
「肯定する」という言葉の意味がよくわかりませんが、「東京日日」の記事を「事実」だと思っている人って日本に居ないのではないでしょうか。私は、東京日日の記事を「事実」だとは思っていません(同記事よりもっと酷いことが行われたではないかと考えています。望月五三郎手記参照http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20050827/1125089638)
木走さんは、どこにもいない「無責任な記事を肯定する人」に向かって呼びかけているのではないでしょうか。
追記
この木走氏の発言に対し、http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20060809/p1でスワンさんが激しい言葉で論難している。
メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。
そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060808/1155021588ばかも休み休みいえ。これは係争中の事件だ。裁判の重要な争点であって、不毛な真贋論争ではない。
故人の一面をこのように消費しようとする人間には、被害者を消費するマスメディアと五十歩百歩の薄汚さが付きまとっているというべきだろう。
私自身は、高裁判決の事実認定をみるかぎり、いまさら
この手記の切実なる平和希求の精神を
などと言い出す人間の神経こそ大いに疑うべきではないかとかなりむかついている。