「喧嘩両成敗」的議論に潜む危険…町山氏のパンフ所収の文章に問題はあったのか?

ホテル・ルワンダ」関連の議論で、うまく問題が整理できないのだが、今のタイミングで提起することに意味があるので、某所のコメント欄で書いた事を抜粋してそのまま掲載する。

町山のテキスト「彼でなければダメだった−−テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル」には、関東大震災は最後の一行にさらっと触れられるだけです。映画の見方、に対するお説教めいた発言もありません。にもかかわらず、件の彼女がこれを「在日のプロパガンダ」と読み取って非難したのが騒ぎの発端ですが、では元の「テリー・ジョージ監督の期待に見事に応えたドン・チードル」というテキストに「関東大震災」の話題は「挟み込まれている」のか。
いつのまにか「挟み込まれている」という前提で「彼女も悪いけど、町山氏も悪い」みたいな議論が動いていることに、私はこの騒ぎの危険な側面をみます。

実際の「テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル」で町山氏は、きわめてストイックな形でしか関東大震災に言及していません。にもかかわらず、それを反日プロパガンダと決め付け非難する人が現れた。
こうやって起こった事態のどこまでが町山氏の責任なのか、町山氏の責任ではないのか、
「僕にとっては離れた問題であると思える震災の話題を差し挟むことによって巻き起こった議論の数々を、彼自身があるいは周りがどう評価するのかというところが、一番大事なように思う。」という発言は、問題の発生を町山氏に負わせるのに等しい発言で、それは今の雰囲気の中では受け入れやすい意見かも知れないけど、きちんとした事実関係の確認なしにされているのだとしたら、そういう「喧嘩両成敗」的な発言は相当危険だと思いますよ。

もちろんパンフの文章を読んだ上で町山氏の責任を問う議論が起こるなら、その議論の存在自体を否定するものではない。